狩野芳崖

狩野芳崖墓

 

 

 画家狩野芳崖は、文政一一年(一八二八)の生まれ。伝統的な狩野派の画風に西洋の画法を取り入れて近代日本画の発展に大きく貢献するとともに、東京芸術大学美術学部の前身で、“芸術・文化の社”上野の一翼を担う東京美術学校の創立にも尽力した人物です。明治二一年一一月五日六一歳で没しましたが、絶筆「悲母観音図」(重要文化財、東京芸術大学所蔵)は今も高い評価を得ており、友人岡倉天心は芳崖の死後「東京美術学校のため、君が生前に於いて尽くされたる其功績を思い、追慕の至りに堪えず」と追悼の辞を述べています。

 谷中長安寺墓地には、芳崖と妻ヨシ(明治二〇年七月一〇日没)の墓所があります。総高一〇九・九センチ。正面に芳崖夫妻の戒名「東光院臥龍芳崖居士 性静院花室妙愛大師」、向かって右側面には各々の忌日を刻んでいます。狩野芳崖墓所は、日本の近代美術史に大きな足跡をのこし、上野の歴史にも関わりの深い人物の史跡として貴重です。

 

 また、長安寺本堂の全面に建つ「狩野芳崖翁碑」は、芳崖の略歴を刻んだもの。総高二二〇センチ、幅八五・五センチ。大正六年の造立です。